溢れる無駄と市場経済の狭間で

社会には無駄なものが必要だと確信している


学生時代に住んでいた尾張瀬戸駅の商店街には、無駄なコミュニティが未だに残っていた
まだ大橋が役者を目指していた頃、日課のランニングに出たのだが、「倒れそうになりながら歩く」演技をしていたら、後ろからママチャリに乗ったおばちゃんが『大丈夫?』と声を掛けてくる
大丈夫ですと笑顔で振り切って(実際に大丈夫だし)、再び倒れそうになりながら歩く演技をしていると、同じおばちゃんが後方より追いかけてきて『あんた、無理しちゃいかんよ。』と言って、結構高そうな栄養補強ドリンクを手渡してくれた
商店街で買ってくれたドリンクを大橋は未だに封を切らずに持っている。飲めなかった。そして、今更飲めない(笑

愛知県漂流(休刊?廃刊?)のベスト商店街に選ばれるだけあって、尾張瀬戸の商店街の怪しさは群を抜いていた。買い物には不必要なコミュニケーションや胡散臭いモノが溢れていた
観光地となった大須の商店街を除いて、鈍い輝きを今尚放ち続けている商店街を他に知らない
母校の名古屋学院も名古屋市熱田区に移転してしまうそうなので、商店街とのコミット企画の行方は気になる所だ

最近、日常に必要なものを買うのは、コンビニかアピタだ。けど、あそこに無駄は存在しない。POSシステムにより選りすぐられた商品だけが棚を占め、自分の身の上や人生を語り合う店員はいない。ましてや、高そうなユンケルをくれるママチャリのおばちゃんはいない


かといって、声高に商店街の再生を叫んだところで、多くの人達には失笑を買うだけだ
一見無駄に見えるあの商店街の、あの「無駄」を再生するためにはどうすれば良いのか
「溢れる無駄」と「市場経済」は正極に存在するものだ。しかし、無駄がなければ人間として生きていく事は出来ない。15分に1人の自殺者を出す日本という国を変える事は出来ない

日本の自殺者数は年々増え続けている。景気がいくらか回復しても、自殺者数は増え続けている
警察庁生活安全局によると、平成15年の自殺者数は、34427人だ
統計に現れて来ない人もいるだろうけど、それでも15分に1人が自殺している計算になる

交通事故による死亡者数が1万人に達しない事を考えれば、これは物凄い数字だ
かつて、国の基幹産業たる自動車が、日本人の生命を危機に陥れてはいけないと、国策として交通事故対策に乗り出し、ピーク時である昭和45年の16765人から凡そ半減させる事に成功している
小泉首相は、自殺者数が増加していることを聞かれ、これだという特効薬が無いので困っていると答えたというけれど、果たしてそれで良いのだろうか

絶望の淵に立たされた時、人は死と向かい合う
絶望の特効薬は存在しないかもしれない。しかし、それに抗う気持ちを喚起させるものは存在するのではないだろうか
交通死亡事故者の4倍の国民の命を蝕む自殺
車もアソビがなけりゃすぐに事故を起こしてしまう
無駄なアソビが存在しない社会は、病んだ社会だ


幸か不幸か、山田玲司の本と、船井総合研究所発行の本を両方愛読する人生を歩んでいる
資本主義経済と溢れる無駄をどう関係させて行くか。それが私の人生の課題に他ならない
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by macaroni-2004 | 2004-11-10 15:27 | 日々の雑記  

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