ごめんなさい、鏡田さん。

BACK STAGEの時の写真を使って、仮にページを組み立ててみるという試験。
鏡田さん、勝手にやってごめんなさい。


b0025419_1595525.jpg私は高校の演劇部で芝居をはじめたんですけど、どうにも下手くそで。全然演技が出来なかったんですね。

演劇は自分を分析した上でコントロールして、しかも相手と向き合って関係性を作っていく表現です。
が、当時の私は、自分が今何を考えて、どんな行動をとっているかすらよくわからなかったんです。


b0025419_1363883.jpg3年間演劇部の部員や顧問には迷惑をかけっぱなしでしたが、自分を理解して他者と向き合う演劇と出会えたことに感謝しました。これは一生ものだろうと思いました。

そして、この演劇の力をもっと沢山の人に知ってもらうおうと思ったんです。そのためには、どうやらプロデューサーというポジションが良いと気づきまして、今の道を志しました。

その後演劇の現場に入って10年ほどが経ちましたが、演劇ラボではこの初志に真っ向から取り組みます。演劇の力を使って、コミュニケーションに困っている人の助けになれれば嬉しいです。演劇を志す人が、自分の足場を確認するための場になればとも考えています。もちろん、私や講師を含めてです。

× × × × × × × × × × × × × × × ×

大橋敦史(オオハシアツシ)
東海シアタープロジェクト・代表。演劇プロデューサー。1980年生、愛知県半田市出身。

1995年、愛知県立半田商業高等学校演劇部で芝居を始める。“自己をみつめ、他者と向き合い、関係を作る”演劇の持つ力と出会う。演劇を世に広める事を決意し、プロデューサーを志す。98年、名古屋学院大学入学後ESSドラマセクションに所属。以後卒業まで、幾つかの英語劇にキャスト・演出として参加する。在学中、演出家・加藤省吾に師事。同年、「名古屋市青少年文化センター・アートプロデュース講座」受講。

2002年、七ツ寺共同スタジオ30周年記念事業・七ツ寺プロデュース第10弾『ソウル・ガーデン~透明な夏、夕立音楽は祭りの如く、その他もろもろ~』で初めての制作・プロデュースを手がける。同年より04年まで、知立市文化会館(パティオ池鯉鮒)事業部に所属。

03年より、フリーランスの小劇場制作者としての活動を本格化する。以降、「メガトン・ロマンチッカー」「西田シャトナー演劇研究所」「劇団翔航群」「NGKプロデュース」「双身機関プロデュース」「愛知県文化振興事業団プロデュース」等の名古屋製作公演のプロデュースや制作協力を手がける。「青年団・五反田団 連続上演企画」「shelf」「少年社中・ホチキス合同企画 劇団毛利と米山」等の来名公演の受入れに参画。他、名古屋公演を行う他地域の劇団・プロデュース公演のコンサルタント多数。

サロン活動にも精力的に取り組んでおり、在名学生劇団の互助組織「名古屋学生劇団協会」や、名古屋・東京の若手演劇コミュニティ「366.0 project」の創立に携わる。03年、社団法人日本芸能実演家団体協議会芸能団体データベース充実推進研究員として東海・北陸地区を担当。03年・04年、演劇プロデューサー育成企画「名古屋演劇プロデュース・ワークショップ」開催。06年、地域で活動する制作者の創造啓発ツアー「Producers meet Producers2006」参加。同年、一般市民参加型ワークショップ「演劇オープンラボ」開催。07年、小・中学生向け環境・表現教育ワークショップ「演劇で学ぼう!環境編」『環境警察2207in愛知』コーディネート。

同年、演劇博覧会「カラフル2」プロデューサー担当。
同年、「メガトン・ロマンチッカー×NEVER LOSE」『廃校/366.0』プロデューサー担当。名古屋公演終了後、メガトン・ロマンチッカーの長期活動停止に伴い東京公演中止(NEVER LOSEが単独公演を実施)。以後、七ツ寺共同スタジオ35周年企画には広報として携わるも、外部団体への制作・制作協力活動を全廃。“自己をみつめ、他者と向き合い、関係を作る”演劇の持つ力を社会に広めるという初志に立ち戻り、自主企画に専心する。

現在、多くの現場を渡り歩いた経験と人脈を基に、現場の一線で活躍する演劇人に協力を呼びかけ、「演劇ラボ」を企画・製作・主催する。また、2009年春開催予定の演劇博覧会「カラフル3」に向け、全国を駆け巡っている。
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by macaroni-2004 | 2008-06-06 01:27 | 演劇制作  

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