3度目の初心表明

地方では珍しい制作専任の僕は、「なんで制作を?」などとよく聞かれます



原初体験は、やっぱり高校の演劇部ですね。1度目の目覚めでした
演劇部への恩返し。罪滅ぼしと言っても良いかもしれません
ホントに芝居がダメでダメで、芝居がダメというよりは、自分が何を考えているのか、相手が何を考えているのか、相手とどう関係したら良いのか
それらがさっぱり判らずに演技なんか出来るわけも無く、演劇作りを通して自分の人生の空洞を照らしてくれた演劇に、僕は恩返しがしたかった
そのためには、演劇制作というポジションについて、演劇を広める事が良いと思った

高校生の頃、傾倒していた「演劇集団キャラメルボックス」加藤プロデューサーへの憧れの念から、プロデューサーというセクションへの興味が高まっていた事
高校3年の夏に高校演劇連盟愛知県支部が主催した、劇団「青年団」平田オリザ氏のワークショップに参加して、眼から鱗…となった経験から、平田さんの演劇理論や社会との関係に強い刺激を受けた事などが影響しています


その後、右も左も判らず演劇の世界に足を踏み入れ、勢いだけを買って下さった多くのみなさんに支えられ、ご迷惑をおかけしながら、幾つかのワークショップやDM発送協力システム、20世紀末の当時まだ目新しかったホームページ制作などを手がけました

そうこうするうちに刈馬カオス氏と出会い、彼と演劇活動をする事になりました。
会場を間違えて観れなかった作品を除いて(池下のスタジオ・座・ウィークエンドと、少年ボーイズ小劇場を間違えた)、処女戯曲を上演した高校演劇の大会を含め、たいていの作品を観ていました
ここが演劇制作者として、憧れが現実となる目覚めでした
そこから演劇制作者として幾つもの作品、演出家、俳優、スタッフ、観客のみなさんと出会い、今に至っています


今、メガトン・ロマンチッカーは活動を停止しました
オオハシの演劇活動の軸であった事は否めません
周囲の仲間に迷惑をかけ、夢破れさせてしまった事も否めません

それでも、演劇をやめられません
宗教を辞められないのと同じような理由もあるでしょう(人間関係、外部で生きていく不安、人によっては経済環境とかも)
でも、それだけじゃない

私は演劇を通して、人が人と生きていくための助けをしていきたい
それが罪滅ぼしであり、唯一の恩返しの方法であり、ひいては私自身の人生のために必要な活動なのです


仲間の助け、赦し、応援により、私は演劇を続けられています
ゼロ地点からの出発。

もう少し具体的に申しますと

・子供向けなど一般向けワークショップの開催や制作
・県外劇団の来演支援など、黒船が名古屋に寄航し刺激を受け合える環境を作る
・演劇チラシ折込みなど、制作周りの環境整備

以上を軸に、当面数年間は活動をして参ります


不安は尽きない冒険ですが、これからが楽しみです
今後とも、よしなにお願いいたします


東海シアタープロジェクト 代表 大橋敦史
[PR]

by macaroni-2004 | 2007-07-05 02:26 | 演劇制作  

<< 今月も東京。 続ける事は大変だ >>