マスコミ報道とノンフィクションの表現

先日経済某紙に僕のことを取材していただきました。それは実に名誉な事なのですが、記事内容にいささか取材内容と異なる点が
どうも記事全体からそこはかとない特集のストーリー性を感じてしまう。まぁ、文化担当の記者の方ではなかったので、無理もない点は理解するのですが・・・

と、そんな事を思いながらテレビを見る。我が家にはテレビが無いので新鮮です
かつて少しだけ袖触れ合った集団が、ずいぶんと世間からバッシングされている事を知る
2002年のクリスマス頃。吸ったことない煙草ふかして(一生で吸ったのはあの時期だけだ)荒れていた事を思い出す。われながらカワイイやつだ
fringeの荻野さん経由で芸団協のお仕事を担当していた時期で、心配をおかけしていた事を思い出す

そうか もう4年も経とうとしているのか



その集団は少し近づいただけでも魅力的な人たちで活気のあるのがわかる
よーするに「いいやつ」や「出来るやつ」が多い。しかも純粋だ
魂の眠る深淵の更に奥から、恐ろしいほどのエネルギーが沸き立っているのもわかりました

僕はそれを「面白い」と思った。ワクワクした
何よりそこにいる人にワクワクした。ドキドキした。脳みその中を指で掬い取られるような感覚だった。ネタにした。泣いた。苛めた。好きだった


随分とアクティブに駆けまわったけれど、結局、なにがなんだかわからなくなって
何が正しくて真実なのかもわからなくなって
相談した人もいたのに、だれとも連絡をとらなくなった。ごめんなさい


それから3年以上経ったわけで
テレビ見てたらセンセーショナルな部分だけ報道されていて。「ドキッとしたのに、あれ?」でした
人の心や生きるという事に何かがある集団なのに。これじゃ、世の中悪くするよねと思った
そしたらブログでこの件を早速指摘して、彼女の確信する真実に世の中を導く賢い人がいて。凄いなと思った

その翌日、観た芝居で彼らの集団の事がしょーもない小ネタにされてました。単純にびっくりしました


ノンフィクションを扱うという事は、どんな些細な触れ方でも、相当な力が働くんですね
自分や仲間達が取材されたり、彼らが大バッシングされていたり、演劇仲間がノンフィクションをあつかっていたり

いくつもの表現や活動や人に大橋が動かされて、今こうしてブログを長々と書いている事を考えると、それぞれの役割が成立していて、社会がまわっているんだなぁと思う
ちょっと言いたい事をうまく言えてないや


真実の核を構成するにせよ再構成するにせよ描写するにせよ、その重さと力は計り知れない
ああ、もっと自分の言葉で言いたいのに
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by macaroni-2004 | 2006-08-10 01:38 | 日々の雑記  

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