私はお客様だと思っていない

誤解を恐れずに書きます

チケット代を払って時空を共有する人達の事を、私はお客様だとは思っていない
なぜなら、それは市場原理の世界の概念だから。自分にとっての演劇は消費ではなく、人生だから
もちろん、資本主義社会に暮らしているのだから、そのシステムを使用せざるを得ない嫌いはあるし、システム自体に縛られてしまう恐れも否定は出来ない
しかし、演劇=消費という概念でいる人間には、正直ゲンナリする。出来る事なら一緒に仕事はしたくない

そこを歩いていたり、座り込んだりしているヤツにこそ、私は演劇を届けたいし、共有したい
社会に暮らす1人の若者を被写体とするならば、演劇はそれを映すレンズだ。その映像を観客というフィルムに刻み付ける
これが私の考える演劇と観客の関係だ
同じ芝居の価値が観客それぞれにとって違うのは、そのフィルム(観客のハート)やエンジン(観客の脳髄)が人それぞれ違うからじゃないかな

演劇公演という一つの画を構築するためには、被写体があり、レンズがあり、フィルムがあり、エンジンがなければならない。どれが欠けても演劇公演は成立しない
痺れる公演を成立させるために、私は観客という仲間と時空を共有したい

・・・まぁ、実際は演劇自身が何者かを構築して発信していると考える向きもあろうけど、喩え話なのでそこは大目にみてね""


演劇を創るヤツラだけが大航海に出る仲間じゃない。港で寄港を待っているヤツラも、大航海を支える仲間なのですよ
チケット代を払ってるから、私はお客様って思うんだったら、大橋が手掛ける作品じゃなくて、最大公約数を受容するためのマーケティングを行っている、市場主義の塊のような表現を観に行ってくれよ。うちには来なくて良い
観客の好みを分析し、好みに合った作品を生み出す需給のマシーン。そんなん、面白いんかね?


社会に対して閉じている集団の多くは、観客を無自覚的に「お客さん」として扱っているのではないだろうか

違う。仲間なんだよ。港で待つ仲間を裏切らない想い。これで、演劇が出来るんだ
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by macaroni-2004 | 2004-10-08 00:37 | 演劇制作  

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