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smart+名古屋活動終了 じろう、めきめきネビュラで腕上げ中

高校を卒業した直後、キャラメルBOXの加藤氏に憧れて大橋は制作を志しました
インターネット草創期だった事もあり、ウェブを立ち上げる事で演劇の世界に顔を出し始めたあの頃。初プロデュースの『ソウル・ガーデン』の2年も前、彼とは出会いました
当時、彼もキャラメル加藤氏の影響を受けており、2002年旗揚げ劇団(現・乳牛テクノロマンス)構想を抱いていました。演劇創りはもちろん、演劇を創る体制作り(制作)について熱を込めて語り合いました



TTPの立ち上げは僕の知多地区を中心とした高校演劇仲間と公募のメンバーだったんだけど(今から考えると、公募の面子強力だったなぁ)、金山北口交番横のミスドが初めての出会いでした
一緒にお茶をしに行った連れの市野は、「ここにもオオハシがいたか。」と、わけのわからない事を言いながら帰宅の途についた事を覚えています

後日、その市野の家に遊びに行った時、まだ珍しかったCSデジタル多チャンネル・パーフェクTVで放送されていた、キャラメルとピスタチオの合同公演『俺たちは志士じゃない』を観た
観終わった時、市野は「TTPもこれぐらいの仕事、するようにならないとな。」と、ニヒニヒした感じのハンサムスマイルを浮かべながら言った

あれから5年が経った2005年

smart+ blog 『長らくの沈黙。』

じろうはそのキャラメルBOXの製作会社「株式会社ネビュラプロジェクト」に入社した
オオハシはと言えば、そのピスタチオの劇作・演出家である西田シャトナーと一緒に芝居をしている。なぜだか、名古屋で


僕の中では、ライバルだと思っていた。あいつがいい仕事をしたら悔しかったし、俺は俺の道を極めてやると思った
風林火山が彼の最も大きな仕事だったわけだけれど、大橋は行かずに七ツに篭った。芝居があったはあったけれど、ふらりと顔を出しただけだった。悔しくて悔しくて、大須から矢場町までの移動が出来なかったというのが、本当の所だ


彼の遺した仕事について、昨日、あの金山北口のミスドで某プロデューサーと意見を交わした
総花的で、濃度を薄めあうイベントなんかに興味は無い。だが、もしも、互いに傷つけあうとしても、結集したエレメントが科学反応を起こし、新たな魂の存在を生むというのであれば、喜んで彼の偉業を踏襲するだろう。そこに1人の例外も無い

利害なんて、関係ない。委任なんて、有り得ない。100%と100%が擦り合い、発火する情熱こそに価値がある

by macaroni-2004 | 2005-10-12 14:12 | 演劇制作  

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