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続・ちょっと、違うんだ

オン・オフライン共に波紋(無駄無駄無駄無駄無駄無駄うりぃいいい!!!)を呼んでしまったので、誤解なきよう続トピ立てます


「私の表現は優れたもので、それをわからないという人は観なくて良いです。」という、頑固オヤジのラーメン店みたいな事を言いたいわけではないのです
私が言いたいのは、観客がどのような意図を作品から読み取るのも自由なように、私達がどんな作品を発表する自由も持ちえているはずだという事
そして、私達の自由に込めた想いを感じて下さる観客と出会える事こそが、至上の喜びであるという想い
同時に、エンターテイナーとしては退屈させたくはないので、出会った皆様に楽しんで頂くためのサービスは提供したい

ところが気がつくと、「サービスそのもの」を目的として、来場するお客様との出会いが発生している
そして、「もっとサービスを提供すべきだ」と、消費者としては当然の権利を主張されるわけですが、私にはそれが素敵な関係だとは思えないのです

メガチカに限れば、『ちょっと表現が痛々し過ぎる。ポップでキッチュな空気は好きなので、それを全面に出したらどうか。』などというアドバイスがそれです
東文化小劇場という空間を選んだのは、距離(遠近感)をいかに活用してあの空間を包み、心を揺らすかにチャレンジしたいという自由を行使した結果なのですが、それに対して「狭い所じゃないと、メガチカはダメだ。」などと、挑戦に立ち会う前からそれを否定するお客様も、我々にとっては同様なのです
逆に、売れるために魂を売って広い劇場でやり始めたなんていう輩までいて、もうウンザリなわけです

私達の自由を行使する事により、サービスを目的としたお客様のプライオリティは確保出来ないかもしれない
しかし、そのサービスはメガチカではなくても得られるものであり、またそのサービスの質は決して超一流のものではないという事実
私達は私達の表現で多くのお客様が等身大の共感を得られると確信しているし、それは娯楽として成立するものだと思っている
それは巷の演劇界(名古屋限定?)に常識として存在する「エンターテイメント(エンタメ系)=笑いと涙」という風潮に対する、アンチテーゼであったりするわけです
私達は十分お客様を向いてサービスを提供しているし、エンタメ系ヨロシクなカンパニーの狭いレンジでは拾えない広いレンジでお客様に向き合っているつもりです

オレンジレンジのレンジは広い。けれど、椎名林檎のレンジが狭いとはなぜか誰も言わない
キャラメルボックスのレンジは広い。けれど、大人計画のレンジが狭いとはなぜか誰も言わない
本当のところ、なぜ売れるのか謎な程にレンジは狭いはずなのに、時代は彼女・彼らの表現を世に送り出した。"普通の人達"からの圧倒的な支持によって

私はメガトン・ロマンチッカーのレンジは広いと考えている。それは、『モンスターとしての私』で実証する
『カロカリ』で役者達は確信を持てた。今、モンスターの現場では、そのための冒険が魅力的な客演陣と共に始まっている
私達も「真のエンタメ系だ」と名乗りを上げるんだ
「社会派」であり「エンタメ系」であり「対話劇」。しかも互いに薄め合うのではなく、化学反応を起こすんだ


私達は他人であり、孤独であり、永遠にわかりあえないはずの存在なのです
だから、私の演劇を理解出来ない人は当然いるはずで、時に別れを告げなくてはならない事もあるのでしょう
それでも、私はいつかはわかりあえる日が来るのではないかと、何の根拠も無くオボロゲに考えています
絶望を前にしても、自分の限界を迎えて立ち竦んでも、あなたと関係する事を酷く拒絶されたとしても、それでも諦められないんです

by macaroni-2004 | 2005-03-30 03:02 | 演劇制作  

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