デューク東郷の正義と、描写に徹する正義

ゴルゴ13

巨人の星ヨロシクな時代に、遭えて007シリーズの世界を劇画で描いたその作品は、今尚、熱烈な支持を受けている(七ツが建つ前から連載してんだもんなー。凄いよ、まぢで
学生運動や全共闘ってな時代に、右でも左でもなく、金で動く殺人マシーンを主人公に設定した事は驚きに値する
とはいえ、金さえあれば動くというわけではない。依頼主との双方向のコミュニケーションがなければ、契約は成立しない。もしそこに依頼主の嘘があれば、その依頼主は必ずこの世から消されてしまうのだ
間違いなくゴルゴ13自身は冷酷な殺人鬼だ。しかし、自らの仕事に対する徹底したポリシーを持ち、移り行く時代の正義に左右されない彼の姿勢は、逆説的に真の正義とは何かを訴え続けている



「評価が定まっていない」事象を取り上げ、社会に逆照射する事は、現代のアーティストであれば当然の使命だと言える
さいとう・たかを氏は「絶対の正義など存在しない」と、常に社会に突きつけ続けている
正義は一つでは無い。答えは一つではない。私達は多様な価値観、多様な正義を持った人々と、「正義を摺り合わせながら」共に社会を形成していかなければならない
多様な価値観を持つ人々が増え続ける民主社会である現代日本おいて、その対話能力の必要性、即ち演劇の公共性は日々高まるばかりだと言える

そんな最中、遭えて描写に徹し、自身のポリシーを直接的に作品に込めない事は大冒険だ。挙手がなければ、民主社会は作られない。手を挙げる事で、社会は作られていく
それではその描写に徹した表現者には正義は無いのだろうか。それも違う。混沌とした社会を、混沌としたまま照射する事は、自らの姿に(自分達の社会に)気がつかず通り過ぎてしまっている人々に、それを突きつける行為となるからだ
その作品が混沌としつつも、圧倒的な質量を持ってさえいれば、受け取った者それぞれの中に湧き上がる何かが必ず存在するはずなのだ

当たり前だけれど、作品の中にメッセージをストレートに込める事も、それもまた正義に反した行動ではない
一つの事象に対して、様々なアプローチを様々な人々が行う事で、社会は重層性を保っていられるのだから


伊藤えん魔伝説/『アフレコ劇画』
直リンクにて失礼します
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by macaroni-2004 | 2005-03-25 11:29 | 演劇制作  

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