純愛映画は詩的か

『世界の中心で、愛を叫ぶ』 『いま、会いにゆきます』 らに代表される「純愛」と評される映画が昨年は堅調な興行成績をあげた

ある評論家が、これら純愛映画をさして、「詩」のように楽しむものだと評していたのが印象的だ
詩のように美しいと聞けば聞こえは良い。しかし、世界構築がアマク、ハッキリとしない曖昧な存在を、明らかに揶揄していた
「男女の関係性は曖昧」「夢と現実の境界も曖昧」「生と死すらも曖昧」であり、そこに物語性など存在しない。リアリズムからは遠く離れた危機と、そこからの容易い脱却。それにより生まれる廉価なカタルシスを観客は堪能するわけだ

皮肉な話だけれど、庶民はこれらの作品を「わかり易い!」と言って消費して行く
おかしい。曖昧なはずのものなのに、なぜわかり易いんだ
そして、曖昧な境界を切り裂いた詩的な作品を観て、人々は「わかり辛い!」と拒絶する。不思議だ

私は思う。現実とはかくもわかり辛く、不条理なものなのだ!
そこから目を伏せ、わかり易い結論を私達は求めすぎているのではないのか

映画パーソナリティーの襟川クロさんは、「恋の映画で泣きたいという女性心理を押さえた作品が上位に並んでいる。女性が映画でひとときの気分転換を求めていることの表れではないでしょうか」と話している。
かくして神の見えざる手は、純愛映画を世間に投げ出すわけだ


もっとも、これらの映画で稼いだ大手配給会社(主に○宝)が、メジャー映画でも”先鋭的な作品”を創れる余力をつけているというのは、概ね一般論のようだ
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by macaroni-2004 | 2005-02-13 21:24 | 日々の雑記  

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