ケガレの表現は可能ではないか

文化人類学など殆ど無知に等しいのですが、「ハレとケ」についてぼんやり考えはじめた
ぐぐるとWikipediaが真っ先にHITした

「非日常のハレと日常のケ」それに、ケの生活が順調にいかなくなる「ケガレ(気枯れ)」があると
なるほどなるほど

ケガレで行き詰まった時、ハレを導入してプラスに転じるわけだ
文化庁長官がおっしゃっている着想の多くはこれにあたるんだろうな

wikipediaにあったけれど、確かに葬式を結婚式などと同じ「ハレ」とするのは違和感がある
同時にやはり非日常という意味では葬式もハレと言えなくもない
また人の死に向きあう場をケガレというのは(音の雰囲気もあるのかな)、ちょっと嫌だなーとも思う


それはそれとして、悲しい時や死に向かう時に愉快な芸術や宗教が欲しいかと言うと、そうでもない気がする
悲しい時は車をぶっ飛ばしてユーロビートを爆音で聞きたい時もあるが、悲しい曲に身を寄せて哀しみに暮れている自分やコミュニティを俯瞰したい時もある


話は戻るけれど、現代演劇には哀しみに身を寄せたい時、その哀しみを包みこんでくれる度量があることを私たちは知っている
陰気な時にダウナー系の芝居を観たいかと言われると、それも細かな気分の変調や作品の出来不出来にもよるところがある


まぁ総じて嬉しい時は楽しいものを摂取したくて、悲しい時はそれをみつめさせてくれるものが欲しくなるかな、私は
でも、ノリノリな時に調子こかないようにするために落ち着いたものを。落ちている時には元気になるために明るいものが欲しいとかもあるかな


自分の語彙の少なさが嫌になるけれど、うちの作品はケガレですというアーティストがいてもいい気がする
「ハレ」と言うには違和感のある作品というか

ケガレの自分をみつめたいという人は、世の中にたくさんいるんじゃないかな
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by macaroni-2004 | 2011-03-30 03:22 | 日々の雑記  

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